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小川喜一 (内務官僚) : ウィキペディア日本語版 | 小川喜一 (内務官僚)[おがわ きいち] 小川 喜一(おがわ きいち、1904年(明治37年)4月5日〔『歴代知事三〇〇人』91頁。〕 - 1979年(昭和54年)8月18日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』280頁。〕)は、日本の内務官僚。栃木県知事。 ==経歴== 徳島県出身〔『新編日本の歴代知事』277頁。〕。京都高等蚕糸学校を卒業。1927年、京都帝国大学農学部農林経済科を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。京都帝大で勤務し、1928年、内務省に転じ茨城県属となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』265頁。〕。 福井県書記官・警察部長、警視庁警務部長、広島県部長・警察部長などを務め〔『歴代知事三〇〇人』94頁。〕、1946年1月、栃木県知事となり、1947年3月、初の公選知事選に出馬のため知事を辞任するが次点で落選した〔。 1955年2月、日本社会党の支援を受けて二度目の知事選出馬で当選を果たした。任期の後半は少数与党のため困難な議会運営を強いられた。川俣ダム・川治第二発電所の建設促進、東北本線宇都宮-大宮間の電化促進、教職員の勤務評定実施、県民室開設などの施策を推進した。1959年2月の知事選で落選し、知事を一期務めた〔。
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